世界を救うまであと4分 第四話「羽熱砂」

第一話 第二話 第三話
毎朝、熱いシャワーを浴びた後、自ら冷水を頭から被り、「あーーー!」と必要以上に大きい声をあげるのが彼女の日課だった。それは、その朝も同じだった。
昇り始めた太陽がカーテンの隙間から覗き、彼女の赤みがかった栗色の長い髪を、より一層赤く照らした。時間が経って渇くほど赤みは増し、より一層彼女の一部と化した。
ヴァネッサは鏡台に手をつき、湿ったタオルを肩にかけたまま、12ラウンドを戦い抜いたボクサーのような虚ろな瞳で鏡に映った自分を見た。今日も美しい。ヴァネッサかわいいよヴァネッサ。これは実際にクラスメイトのヨウスケから言われた言葉だが、それを聞いて以来、彼女は毎朝鏡でこの言葉を一人呟いた。ヴァネッサ。漢字で書くと羽熱砂。ヴァネッサは名付け親である母親の絵理を心から憎んだ。羽熱砂かわいいよ羽熱砂。
父親のフローレンスはヴァネッサが2歳の時、すなわちほとんど記憶がない内に、家から出て行った。ヴァネッサの美貌は、間違いなく父フローレンスから受け継いだ物だった。パパはいまどこにいるの?幼いヴァネッサはよく母にそう訪ねた。さぁ知らない。アルザスで女の尻でもおっかけてるんじゃないの?返ってくる答えは大抵このヴァージョンで、あとはロレーヌだったりオーヴェルニュだったりコルシカだったりノルマンディーだったりと、地名が変わるだけであった。
鏡台の横の壁には、ポスターのように大きく引き伸ばした、ある女の顔の写真が貼ってあった。芽理沙だ。ヴァネッサが写真部の中川に、超望遠のレンズで撮らせたメリサの写真。貼ってあるのはメリサの顔写真だが、よく見ると写真には無数の縦に入った裂け目だらけだった。所々に横や斜めに入った裂け目もあった。そうした傷を持ってしても、メリサは全国の男共を魅了し続けるスーパーアイドルのメリサに違いはなかった。
「…merde」
ヴァネッサは呟いた。そして写真と対峙した。肩にかけていたタオルをベットに放り投げ、全裸でメリサの写真と対峙した。
「…merde」
メリサが転校してきて一年。一年前、メリサよりも全校生徒を魅了し、浮かれさせ、熱狂の渦の中心にいた人物のことを、ヴァネッサは誰よりも鮮明に記憶していた。
「…merde!」
その時だった。彼女の足元に、なにやらポタリと雫の様なものがしたたり、乳白色のカーペットを赤く染めた。それは血だった。終ったと思っていた生理。ヴァネッサの股座が、また新たな繊維、幾重にも折り重なるソレを求めていた。
「…merde!!!!!!」
滴る血はそのままに、ヴァネッサはメリサの写真に歩み寄り、鏡台にあったマジックをひっつかみ、額に何やら書き殴った。
「殺」
書き終えて、写真から少し離れると、ヴァネッサは満足そうにメリサの写真を見つめた。そして「プッ」と軽く吹き出した。ポタリ。また血が滴った。
「ちょっとー、もう起きたの〜?」
階下から母の声がして、ヴァネッサは我にかえった。そして、鏡台の引き出しからナプキンを取り出し、ガニ股になり無造作に股座にあてがった。鏡に映るその自分の姿を、ヴァネッサ見た。ヴァネッサは自分を見つめた。ふと、今あてがったナプキンを外してマジマジと見つめ、そしてメリサの写真の方を見た。そして何かを思いついたような表情を浮かべると、不敵に笑うのだった。




第五話